「離職率を下げたい、とは思っていないんですよね」
企業のメンタルヘルス支援や離職率改善の営業をしていると、こう切り出す経営者・人事担当者に出会うことがあります。
続けて出てくるのは、決まってこんな言葉です。
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「優秀な社員には残ってもらいたい。でも、貢献していない社員はむしろ辞めてもらった方がいい。だから離職率が高くても構わないし、メンタルヘルス対策にコストをかける必要も感じていない」 |
一見、筋が通っているように聞こえます。しかし私たちは長年の支援経験から、この考え方には決定的な誤解が含まれていることを知っています。
この記事では、その誤解がなぜ生まれるのか、そして現実はどうなっているのかを、現場の視点からお伝えします。
目次
なぜ「離職率を下げたくない」という発想が生まれるのか
この考え方は、一定の合理性を持っています。採用・教育コストをかけた社員が辞めることは確かに損失ですが、「貢献していない社員が自然に辞めれる環境は、むしろ健全な新陳代謝だ」という見方もできなくはないです。
そこから「だから離職率は下げなくていい」「だからメンタルヘルス対策も不要だ」という結論に至る思考回路は、こんな構造になっています。
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「貢献していない社員には辞めてほしい」 |
この論理の問題は、「実際に辞めているのは誰か」という現実を見ていないことです。
貢献度の低い社員は、自然に・静かに辞めていく
組織への貢献度が低い社員は、自分がそうであることをある程度わかっています。居づらさや将来への漠然とした不安から、時間をかけて静かに離れていくことが多い。
貢献度の低い社員は、自分がそうであることをある程度わかっています。居づらさや将来への不安から、自分に合った環境を求めて自然に離れていくことが多い。会社にとっても本人にとっても、ある意味では自然な流れと言えます。
ただし、ここで一つ重要な点があります。
貢献度の低い社員が「自然に気づいて離れていく」のと、「職場環境が原因でメンタル不調になって辞める」のは、まったく別の話だということです。
たとえ会社への貢献度が低い社員であっても、過剰なノルマや上司からのハラスメント、劣悪な職場環境によってメンタル不調に追い込まれた場合、それは企業側の問題です。労災リスク、訴訟リスク、そして会社の評判への影響。「貢献していない社員だから構わない」では済まされません。
では、実際に誰が辞めているのか
そして問題なのは、その「自然な流れ」と並行して、会社が本当にダメージを受ける退職も起きているということです。
周囲から頼られ、ノウハウと経験を蓄積してきた優秀な社員。そういった人材が、ある日突然「辞めます」と告げてくる。こうした退職は、組織に深刻な穴を開けます。業務の停滞、チームの士気低下、採用・教育コストの再発生。「なぜ辞めたのか」が事後にしか分からないことへの焦りと後悔。
「離職率が高くても構わない」という認識のままでいると、この二種類の退職を区別できず、本当に防ぐべき退職を見過ごし続けることになります。
優秀な社員が辞める理由──現場で見えてきた三つのパターン
では、優秀な社員はなぜ辞めるのでしょうか。現場での支援経験をもとに整理すると、主に三つの理由に集約されます。
① メンタル不調──「強い人」ほど静かに消耗する
優秀な社員がメンタル不調に陥りやすい構造は、皮肉なことにその「優秀さ」そのものにあります。
責任感が強く、仕事を断れない。周囲からの期待も高いため、負荷が一人に集中しやすい。「あの人に頼めば何とかしてくれる」という空気が職場に生まれると、当人への負担は際限なく積み上がります。
さらに厄介なのは、優秀な人ほど「自分はまだ大丈夫」と限界を認識しにくい点です。弱音を見せることへの抵抗もあり、SOSを出さないまま消耗が進んでいく。上司や経営層が「あの人は安定している」と思っているそのとき、本人の内側では深刻な疲弊が蓄積されています。
そして、ある閾値を超えたとき、突然「もう限界です」という言葉とともに退職届が出てくる。周囲は「あんなにしっかりしていたのに」と驚きますが、当人にとっては限界を超えてからずっと時間が経っていたのです。
見逃されやすいメンタル不調のサイン
- ・残業が増えているのに、成果物の質が落ちてきた
- ・会議での発言が減り、以前より口を開かなくなった
- ・「大丈夫です」と答えるが、表情や反応が明らかに以前と違う
- ・有給をまったく取らなくなった、あるいは急に増えた
- ・些細なミスが増えた、確認作業に時間がかかるようになった
こうしたサインは、近くにいる人間が注意深く見ていなければ気づけません。「メンタルヘルス対策が不要」という認識の職場では、こうしたサインを拾う仕組みがそもそも存在しない。だから気づいたときには手遅れになっています。
② 評価制度の曖昧さ──努力が報われない感覚の蓄積
優秀な社員が退職を決意するとき、もう一つよく挙がるのが「評価への不満」です。
頑張るほど仕事が増え、成果を出しても正当に評価されない。昇給・昇格のタイミングが見えない。評価基準が不明確で、何をすれば認められるのかわからない。こうした状況が積み重なると、優秀な人ほど「ここにいても報われない」という確信に変わっていきます。
評価制度の問題は、「基準がない」だけではありません。基準はあっても運用が属人的だったり、上司の主観に依存していたりすることで、成果よりも「声の大きさ」や年功が処遇に影響するケースも多い。
優秀な社員はこうした不公平感に敏感です。自分の市場価値を冷静に把握できているからこそ、「外に出た方が正当に評価してもらえる」という判断に至るのが早い。
③ 転職市場の活発化──優秀な人ほど「いつでも動ける」状態にある
現在の転職市場は、かつてとは様相が大きく変わっています。転職エージェントやスカウトサービスが充実し、スキルのある人材ほど日常的にオファーを受けるようになりました。
つまり、優秀な社員は常に「辞めようと思えば明日にでも動ける」状態にあります。以前であれば「転職活動は大変だから、もう少し様子を見よう」と留まっていた層が、今は閾値を越えた瞬間に迅速に動ける。
「あの人は辞めないだろう」という安心感は、もはや根拠のないものです。特に優秀な社員ほど転職市場での需要が高く、社内の不満が一定の水準を超えたとき、行動に移るまでの時間が圧倒的に短くなっています。
メンタルヘルス対策を「不要」と判断している間にも、優秀な社員の転職への閾値は下がり続けているかもしれません。
「2:6:2の法則」が教えてくれること
ここで、組織論でよく知られる「2:6:2の法則」を紹介します。
どんな集団でも自然と生まれる役割の偏り
2:6:2の法則とは、集団の中で上位2割が高パフォーマー、中間6割が標準、下位2割がそれ以外になりやすいという経験則です。アリの巣の観察から広まった考え方ですが、人間の組織においても同様の傾向が見られることが知られています。
注目すべきは、「下位2割を取り除いても、残った集団の中でまた同じ比率が生まれる」という点です。貢献度の低いメンバーをなくしても、残ったメンバーの中で新たに「下位層」が生まれてしまう。
「全員が高パフォーマー」の組織は、実は不安定
これが示すのは、「下位層をなくせば組織が強くなる」という発想の限界です。
組織には自然と役割の偏りが生まれます。常に全員が全力で動き続けると、組織全体が疲弊します。余力を持つ個体が存在することで、非常時のバックアップが機能します。「全員が常に高パフォーマンス」という状態は一見理想的ですが、組織理論的には不安定であり、長続きしません。
問題の本質は個人の貢献度ではなく、「優秀な人が安心して働き続けられる環境があるかどうか」です。貢献度の低い社員をターゲットにするのではなく、優秀な社員が消耗せずに活躍できる職場をつくることが、組織の本質的な強化につながります。
適切な流動性を保ちながら、離職率を改善する
ここで大切な視点があります。「離職率をゼロにする」ことが目標ではないということです。
組織には適切な流動性が必要です。新しい人材が入ることで刺激が生まれ、時代の変化に対応できる。問題なのは「辞めてほしくない人が辞め、辞めてもよい人だけが残る」という歪んだ流動性です。
理想は、職場環境を整えることで優秀な人材が「ここで働き続けたい」と思える状態をつくること。そうすれば、自然な流動性は保ちながら、組織にとってダメージになる退職を防ぐことができます。
私たちが契約している企業の多くは、まさにこの認識の転換を経て、離職率に適切な流動性を持たせながら、優秀な人材の定着率を高め、メンタルヘルス不調の件数を減らすことに成功しています。
メンタルヘルス対策は「弱者のケア」ではない
「メンタルヘルス対策は、精神的に弱い社員のためのもの」──この認識が、対策を後回しにする最大の理由になっています。しかし現場の実態は、まったく逆です。
消耗しているのは「強い人」の方
前述の通り、メンタル不調に陥りやすいのは責任感が強く、期待に応え続けようとする優秀な社員です。「弱いから折れる」のではなく、「強いからこそ限界まで踏ん張り、静かに消耗していく」のです。
「あの人は大丈夫」という周囲の認識が、早期発見の機会を奪います。メンタルヘルス対策の仕組みがあれば、こうした見えにくい消耗を早い段階でキャッチし、手を打つことができます。
メンタルヘルス対策が組織にもたらす変化
適切なメンタルヘルス対策を導入している企業では、次のような変化が現れてきます。
- 早期発見・早期対応により、休職・退職に至るケースが減少する
- 「何かあれば相談できる」という安心感が、職場の心理的安全性を高める
- 管理職のメンタルヘルスへの理解が深まり、部下への関わり方が変わる
- 離職率が安定し、採用・教育コストが抑制される
- 「社員を大切にしている会社」という評判が、採用力の強化にもつながる
これらはすべて「弱者のケア」ではありません。組織の生産性と持続可能性を高めるための、れっきとした経営投資です。
評価制度の整備も、メンタルヘルス対策の一部
メンタルヘルス対策というとカウンセリングやストレスチェックを思い浮かべる方が多いですが、評価制度の透明性を高めることも重要な要素です。
「頑張りが正当に評価される」という感覚は、優秀な社員のモチベーションを維持し、「ここで働き続けたい」という意欲に直結します。逆に、いくら相談窓口を充実させても、評価制度が不透明なままでは「報われない」という感覚は拭えません。
職場環境・評価制度・メンタルヘルス支援は、三位一体で取り組むことで初めて効果が出ます。
認識を改めた企業に起きた変化
「離職率を下げたくない=メンタルヘルス対策は不要」という認識を持っていた企業が、その考えを改めた後にどんな変化が起きたか。現場で見てきた事例をご紹介します。(個人・企業が特定されないよう一部内容を変更しています)
ケース①:「辞めてほしい社員」ではなく「残ってほしい社員」が辞めていた
人材系会社の中堅企業A社の人事担当者は、当初「離職率が高くても問題ない」と話していました。しかし出口面談を丁寧に実施してみると、退職者の多くが入社3〜5年目の中核人材であり、「評価基準が見えない」「負荷が自分に偏っている」という声が共通していたことが判明。
「辞めてほしくない社員が先に辞んでいた」という現実を直視したことで、評価制度の見直しとメンタルヘルス対策を導入。翌年の中核人材の定着率が大きく改善しました。
ケース②:ミーデンとの連携が「早期発見」を可能にした
IT系ベンチャーB社では急成長に伴い業務負荷が増大し、優秀なエンジニアが複数名、メンタル不調で長期休職・退職するという事態が発生。開発スケジュールへの影響は深刻でした。
当初「うちにメンタルが弱い社員がいたとは思わなかった」という反応でしたが、支援を通じて「消耗していたのは一番頑張っていたエンジニアたちだった」という実態が明らかに。ミーデンのサービスを導入し職場改善を一緒に行うことで、休職者が大幅に減少しました。
ケース③:「離職率を下げる」から「残りたくなる職場にする」へ
小売業のC社は「離職率の数値を下げる」ことを目標に施策を打ち続けていましたが、なかなか改善しませんでした。相談の中で気づいたのは、発想の根本が「辞めさせないようにする」だったことです。
「ここで働き続けたいと思える職場にする」という目標に切り替え、シフトの柔軟化・1on1面談の定期実施・小さな成果を言語化して認める文化づくりに取り組んだところ、1年後に自発的な定着率が上昇し、離職率も低下しました。「辞めてほしくない人」が辞めなくなった結果、離職率が改善したのです。
企業が今すぐ取り組める五つのステップ
認識を変えた上で、具体的に何から手をつければいいか。現場で効果のあった取り組みをステップ形式でまとめます。
ステップ1:出口面談を丁寧に実施し、退職理由を正確に把握する
退職者が本音を話せる場をつくることが第一歩です。直属の上司ではなく人事担当者や第三者が面談することで、より率直な声が得られます。「なぜ辞めるのか」を丁寧に聞き、データとして蓄積・分析することで、組織改善のインプットになります。
ステップ2:ストレスチェックを「義務」から「活用ツール」へ
法定のストレスチェックを実施しているだけで、結果を活用できていない企業は少なくありません。集団分析の結果を部署ごとに共有し、高ストレス職場には優先的に介入する仕組みをつくることが重要です。
ステップ3:管理職のメンタルヘルスリテラシーを高める
部下のメンタル不調に最初に気づけるのは直属の上司です。「なんとなく様子がおかしい」という段階で適切に対応し、人事や専門家につなげるスキルを、管理職研修として整備しましょう。
ステップ4:評価制度の透明性を高め、フィードバックを定期化する
何をすれば評価されるのかを明確にし、定期的なフィードバック面談を実施します。成果だけでなくプロセスや行動を評価に組み込むことで、「見えない努力が報われる」感覚をつくることができます。
ステップ5:産業医・外部EAPとの連携体制を整える
社内の人事や上司だけでは対応に限界があります。産業医との定期面談、外部EAP(従業員支援プログラム)との契約により、相談窓口を複数持つことが重要です。「誰かに話せる場所がある」という安心感だけで、従業員のストレス軽減に大きく寄与します。
まとめ──「メンタルヘルス対策は不要」という認識が、優秀な社員を失う
「優秀な社員には残ってもらい、貢献していない社員には辞めてもらう」──この考え自体は経営視点で見ると間違いではありません。問題は、「だから離職率を下げなくていい」「だからメンタルヘルス対策も不要だ」という結論に飛びつくことです。
実際に自然に離れていくのは、貢献度の低い社員です。一方、会社が本当にダメージを受けるのは、優秀な社員がメンタル不調・評価への不満・転職市場の活発化を理由に離れるときです。
2:6:2の法則が示すように、下位層をなくしても問題の本質は変わりません。社員が安心して働き続けられる環境をつくること。これが、離職率改善とメンタルヘルス対策の本質です。
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