精神障害の労災認定はどう決まるのか ——カスハラ・パワハラ被害から企業の初動対応まで

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 近年、顧客や取引先からの著しい迷惑行為(カスタマーハラスメント、以下カスハラ)や、職場内でのパワーハラスメント(以下パワハラ)を原因としてうつ病などの精神障害を発症し、労働者災害補償保険(労災保険)の給付を請求するケースが増えています。しかし、「労災」という言葉は知られていても、誰がどのような基準で認定を判断するのか、企業はどこまで関与すべきなのかについては、正しく理解されていないことが少なくありません。

本記事では、精神障害の労災認定の基本的な仕組みから、認定の可否を分ける具体的な基準、健康保険(私傷病)との違い、そして企業が取るべき初動対応までを、一連の流れとして整理します。

1. 労災認定の基本的な仕組みを正しく理解する

判断するのは会社ではなく労働基準監督署

まず押さえておきたいのは、労災に該当するかどうかを最終的に判断するのは「労働基準監督署()」であるという点です。会社が独自に「これは労災として認める」「これは認めない」と決定できるものではなく、審査・認定の権限は一貫して労働基準監督署にあります。

この前提を誤解していると、企業側が「うちでは労災とは認められません」といった発言をしてしまい、それ自体が労働者との間で不要な軋轢を生む原因になります。企業がすべきなのは、労災を認定することでも拒否することでもなく、労働基準監督署による審査に必要な事実確認と証明に協力することです。

企業に求められる役割

労災保険の請求手続きでは、事業主が請求書の一部(業務の実態や災害発生状況に関する証明欄など)に証明を行う必要があります。会社にはこの手続きへの協力が求められますが、証明を拒否したり、非協力の姿勢を貫いたりすることも実務上は起こり得ます。

ただし、会社が協力しない場合であっても、労働者本人が労働基準監督署へ直接請求書を提出することは可能です。事業主の証明が得られない場合の取り扱いについても労働基準監督署で相談できるため、「会社の同意がなければ労災請求ができない」という誤解は避ける必要があります。企業にとっても、非協力の姿勢は労働者との信頼関係を損ない、後述するとおり、より大きな労使紛争に発展するリスクを高める点に注意が必要です。

2. 精神障害はどのような基準で労災認定されるのか

カスハラや職場内のパワハラが原因でうつ病などの精神障害を発症した場合も、他の傷病と同様に労災認定の対象となります。ただし、精神障害の労災認定には、外傷のようにケガの原因が一目でわかる労災とは異なる難しさがあります。厚生労働省の「心理的負荷による精神障害の認定基準」では、次の3つの要件をすべて満たすことが求められます。

認定基準の対象となる精神障害を発病しているか

うつ病や急性ストレス反応など、認定基準が対象とする精神障害を発病していることが前提となります。診断書などにより、対象疾病を発病している事実がまず確認されます。

発病前おおむね6か月の間に、業務による強い心理的負荷が認められるか

対象疾病の発病前おおむね6か月の間に、業務上どのような出来事があったかが具体的に特定され、その心理的負荷の強度が「強」「中」「弱」の3段階で評価されます。認定基準には、パワハラ・カスハラを含む出来事の類型ごとに、どのような事実関係があれば「強」と評価されやすいかの具体例が示されています。たとえば、身体的攻撃を伴う行為、人格を否定するような言動が反復・継続していた場合、上司等がその事実を把握していながら適切な対応を取らなかった場合などは、「強」と評価される方向に働きやすいとされています。逆に、業務上の指導が一時的なものにとどまり、社会通念上許容される範囲であったと評価される場合は、「弱」または「中」にとどまることもあります。「なんとなく負荷の高い状態が続いていた」という漠然とした主張ではなく、認定判断では、いつ、どのような出来事が、どの程度の期間・頻度で発生したかが、調査を通じて時系列で確認されます。労働者側でも、可能な範囲で記録を整理しておくことが望まれます。

業務以外の心理的負荷や個体側要因による発病ではないか

業務による強い心理的負荷が認められる場合であっても、業務以外の心理的負荷(家族関係、金銭問題、事件・事故など)や、既往の精神障害・治療歴・アルコール依存といった個体側要因が明らかにある場合には、それらが発病に与えた影響について医学的に慎重な判断が行われます。単に私生活上の問題や既往歴があるというだけで、直ちに労災が否定されるわけではありません。

なお、これらの調査は書面だけでなく、本人・会社・同僚などへの聴取も含めて行われます。メールや録音、勤怠記録などの客観的な資料は出来事の内容や頻度を確認するうえで重要ですが、資料が十分に残っていない場合でも、関係者への聴取などを通じて事実確認が行われる仕組みになっています。また、診断書は「対象疾病を発病したこと」を示す資料であり、パワハラなどの出来事そのものを証明する資料とは限らない点にも留意が必要です。

3. 認定判断で重要となる記録と資料

労働者側が準備しておきたい記録

心理的負荷が「強」と評価されるためには、出来事の存在とその内容を裏付ける資料が重要になります。代表的なものとして、次のような記録が挙げられます。

  • ・出来事があった日時・場所・内容を記したメモや日記
  • ・暴言や威圧的な言動を記録した録音データ
  • ・該当するやり取りが残るメールやチャットの履歴
  • ・心療内科・精神科での診断書や通院記録
  • ・同僚など第三者による証言(可能であれば書面)

これらは発病後にまとめて用意しようとしても限界があるため、被害を受けている段階からできるだけ同時進行で記録しておくことが望ましいとされています。

企業側が確認・収集すべき資料

企業の立場からは、労働基準監督署の調査に誠実に対応できるよう、次のような事実確認を行っておくことが実務上重要です。

  • ・該当する言動があったとされる日時における業務記録や勤怠データ
  • ・関係者(本人・行為者とされる人物・周囲の従業員)へのヒアリング記録
  • ・相談窓口や人事への相談履歴の有無
  • ・業務指示・指導の内容や頻度に関する記録

「指導の範囲」か「ハラスメント」かを分ける視点

パワハラが疑われる事案では、「業務上必要な指導」と「人格否定を伴う不適切な言動」との境界が争点になりやすいポイントです。この判断は、行為の目的・態様・頻度・継続性、行為者と受け手の関係性、業務上の必要性の有無といった客観的な事実に基づいて行われるべきであり、企業側の主観的な評価だけで「指導の範囲内だった」と結論づけることは危険です。

4. 労災保険と健康保険(私傷病)の違いを理解する

うつ病などの精神障害で療養が必要になった場合、労災保険の対象となるか、健康保険(私傷病)による対応となるかで、労働者が受けられる補償の内容は大きく異なります。

項目

健康保険(私傷病)

労災保険

治療費の自己負担

原則3割負担

労災指定医療機関であれば窓口負担0

休業中の補償

傷病手当金(原則として、支給開始日以前12か月間の標準報酬月額の平均額を30で割った額の3分の2)

休業4日目以降、原則として給付基礎日額の80%相当(休業(補償)給付60%+休業特別支給金20%)。最初の3日間は原則として事業主による休業補償の対象

補償期間

支給開始から通算で最長16か月

療養(補償)給付には原則として一律の支給期間上限なし。休業給付は、療養のため働けず賃金を受けられないなどの要件を満たす期間が対象。療養開始後16か月を経過し一定の重い状態にある場合は傷病(補償)年金へ移行することがある

療養中の解雇

法律上の一律の解雇制限はない

業務上の傷病の療養のために休業する期間およびその後30日間は、一定の例外(打切補償を行った場合など)を除き解雇が制限される。この解雇制限は通勤災害には原則として適用されない

 

このように、労災として認定されるかどうかは、治療費の負担額や休業中の生活保障、さらには雇用の継続性にまで直結する重要な問題です。労働者にとって、労災保険を適切に請求し、公正な判断を受けることの意味が大きい点を、企業側も理解しておく必要があります。

5. 企業が取るべき初動対応

労災請求への協力は初動対応の重要な一部ですが、それだけでは足りません。カスハラ・パワハラの発生が疑われる段階では、次のような対応もあわせて必要になります。

  • ・被害を受けた従業員の安全確保
  • ・行為者や当該顧客からの一時的な分離
  • ・医療機関や産業医への受診案内
  • ・相談者のプライバシー保護
  • ・相談したことを理由とする不利益取扱いの防止
  • ・録音、メール、防犯カメラ映像などの証拠保全
  • ・労災認定の可否とは別に行う社内調査と再発防止策の検討

カスハラが疑われる場合

顧客等からのカスハラが疑われる事案では、企業が取るべきスタンスは「労災に該当するかどうかを会社が判断すること」ではなく、「事実関係を確認し、労災請求の手続きに協力すること」です。該当するやり取りの記録の有無を確認し、対応にあたった従業員へのヒアリングを行うなど、可能な範囲で事実確認を進めます。会社が被害を把握しながら適切な保護措置を取らなかった場合には、後述する安全配慮義務違反が問われる可能性がある点にも注意が必要です。

パワハラが疑われる場合

パワハラでは、行為者が上司や同僚など社内の人物であることが多く、行為そのものに加えて、会社が相談を受けた後に適切な対応を取ったかどうかも問題になります。行為が「指導の範囲」であったのか、それを逸脱するものであったのかについて、関係者へのヒアリングや記録の確認を通じて客観的に事実を把握することが不可欠です。

共通する原則:誠実な手続き協力の重要性

カスハラ・パワハラのいずれの場合であっても、事実関係の隠蔽や調査への非協力は、労災認定の可否とは別の次元で、企業にとって重大なリスクとなります。労働基準監督署の調査に協力しないだけでなく、社内での事実確認自体を怠った場合、後になって安全配慮義務違反を理由とする損害賠償請求など、より大きな労使紛争に発展する可能性が高まります。労災請求への対応は、労働者との信頼関係を維持し、紛争を未然に防ぐという観点からも、誠実に行うことが企業にとって望ましい選択といえます。

まとめ

精神障害の労災認定は、対象となる精神障害を発病しているか、発病前おおむね6か月の間に業務による強い心理的負荷が認められるか、業務以外の心理的負荷や個体側要因による発病ではないか、という3つの認定要件に基づき、労働基準監督署によって厳格に審査されます。日々の記録やメール、診断書といった客観的な資料は出来事の内容や頻度を確認するうえで重要ですが、資料が十分でない場合も、関係者への聴取などを通じて事実確認が行われます。

企業に求められているのは、労災の該当性を判断することではなく、事実確認と手続きへの協力を誠実に行うことです。カスハラであれパワハラであれ、この原則を踏まえた初動対応が、労働者の適正な補償の確保と、企業自身の法的リスクの低減の双方につながります。