給与より「働きやすさ」の時代へ ― 中小企業が大手に勝つ採用戦略

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はじめに:賃上げ競争に参入しても、中小企業は勝てない

2026年春闘でも大手企業を中心に高水準の賃上げが相次いでいますが、それでも人材の流出は止まっていません。人材紹介会社が実施した調査では、賃上げ後も9割超のビジネスパーソンが転職活動を継続する意向を示しており、給与を上げれば人が辞めない、採れるという前提そのものが崩れつつあります。

一方で、中小企業にとって深刻なのは、新卒の初任給ひとつをとっても大手企業との差が年々開いていることです。20264月入社の大卒初任給予定額は、従業員5,000人以上の企業で平均25.6万円だったのに対し、300人未満の企業では平均22.8万円にとどまり、その差は約2.8万円に広がっています。求人倍率でも中小企業は新卒・中途を問わず大手に大きく水をあけられており、同じ「給与の高さ」というものさしで戦う限り、中小企業に勝ち目はありません。

しかし、ここで見落とされがちな事実があります。今の求職者、そして今働いている社員が本当に会社に求めているのは「給与の絶対額」だけではないということです。本記事では、給与よりも「働きやすさ」を重視する意識の変化をデータで確認したうえで、大手企業にはできない施策で採用競争を勝ち抜いている中小企業の実例を紹介します。

1. データで見る「給与より働きやすさ」への意識変化

転職の決め手は「年収」から「自己成長・働き方」へ

人材紹介会社が2026年春に実施した調査では、賃上げが転職の引き止めの決め手にはならず、転職を決める最大の要因が「年収」から「自己成長」へと移りつつある傾向が明らかになっています。物価高で実質的な賃上げ効果を感じられていない人が多いことに加え、給与そのものよりも「この会社で働き続ける価値を感じられるか」が判断軸になっているのです。

若い世代の意識の変化はさらに顕著です。2026年卒の学生を対象にした調査では、「30代で年収1,000万円」を目指す層が減り、「40代で年収700800万円」程度でよいという、より現実的な年収イメージを持つ学生が増えていることが分かりました。激務や高難易度の仕事で高収入を狙うより、自分の時間を確保しながら無理なく働きたいという価値観が広がっています。

「業務量」がストレスの最大要因

2026年に実施された転職意識調査では、直近3ヶ月間で職場ストレスを感じた人が全体の76.2%にのぼり、そのストレスの原因として最も多く挙げられたのが「業務量」でした。「業務量の偏り」や「人手不足」を職場課題として実感している人も3割を超えています。給与への不満と並んで「はたらき方を変えたい」という理由が転職検討の上位に挙がっており、過重労働そのものが離職の引き金になっていることがうかがえます。

柔軟な働き方は「転職の思いとどまり」につながる

日本能率協会総合研究所が実施した働きがいに関する大規模調査では、興味深い結果が示されています。2534歳のうち「転職を考えたことはあるが、実際には転職していない」層に理由を尋ねたところ、上位に挙がったのは「今の会社で柔軟な働き方ができるから」でした。給与への納得感は「転職を考えたことがない」層の理由としては上位に入るものの、一度転職を意識した人を引き止める力としては、柔軟な働き方のほうが強く効いているという結果です。つまり、給与は「転職を思いとどまらせる決め手」というより「そもそも転職を考えさせない土台」であり、働きやすさこそが一度傾いた気持ちを引き戻す力を持っているといえます。

2. なぜ「給与より働きやすさ」が求められるようになったのか

過重労働への忌避感の高まり

長時間労働やそれに伴う心身の不調は、以前から社会課題として認識されてきましたが、近年はより明確に「入社前から避けたい条件」として意識されるようになっています。高い給与を提示されても、時間外労働が常態化している職場や、休日出勤が前提になっている職場を選ばない求職者が増えているのです。求人票の給与欄だけでなく、口コミサイトやSNSで実際の働き方が可視化されやすくなったことも、この傾向を後押ししています。

副業・兼業への関心の高まり

もう一つの大きな変化が、副業・兼業に対する関心の高まりです。終身雇用や年功序列による給与上昇への期待が薄れる中、本業の給与だけに依存せず、自分のスキルを複数の場で活かして収入源を分散させたいと考える人が増えています。週休3日制などで可処分時間が増えれば、その時間をリスキリング(学び直し)や副業に充てたいというニーズも強く、実際に週休3日制の導入を検討する企業の多くが、副業・兼業の可否をあわせて制度設計しています。

「転勤なし」への支持も拡大

転勤についても同様の傾向が見られます。正社員で働く転職希望者を対象にした2026年の調査では、転勤がある会社で「働きたくない」と回答した人が7割近くにのぼり、前年よりも増加しました。転勤を受け入れる条件として挙げられたのも「基本給が上がる」「手当が充実している」といった金銭的な対価であり、裏を返せば、金銭的なメリットがなければ転勤という働き方そのものを避けたいと考える人が多いことを示しています。勤務地を固定できる、リモートワークを柔軟に選べるといった「働き方の自由度」も、給与と並ぶ、あるいはそれ以上の訴求ポイントになりつつあります。

3. 中小企業が陥りがちな「賃上げ勝負」の罠

人手不足に直面した中小企業がまず取りがちな対策が、初任給や中途採用時の提示年収を引き上げることです。しかし、体力の異なる大手企業と同じ土俵で賃金勝負をしても、原資に限りがある中小企業が最終的に競り負けてしまうのは構造的に避けられません。求人サイトの求人倍率を見ても、知名度のある大手企業に応募が集中する一方、中小企業は一人の求職者を複数社で奪い合う厳しい状況が続いています。

さらに、無理をして給与水準を引き上げても、それだけでは根本的な問題は解決しません。前述の通り、給与への不満よりも「働き方を変えたい」という理由で転職を検討する人が増えているためです。給与を上げても長時業務量や労働時間が変わらなければ、結局は同じ理由で人材が流出してしまいます。中小企業が本当に取り組むべきは、「大手と同じ土俵で戦わない」採用戦略への転換です。

4. 大手企業にはできない、中小企業ならではの施策

意思決定の速さを活かした柔軟な制度設計

大手企業では、就業規則の変更や新制度の導入に多くの部署の合意形成が必要で、時間がかかります。一方、中小企業は経営者の判断ひとつで、週休3日制やフレックスタイム、時短勤務、副業の解禁といった制度を機動的に導入できます。実際に、大手と同じ賃金水準を出せない中小企業ほど、「時間」や「柔軟性」を武器にした差別化に踏み切りやすいという指摘もあります。給与の高さだけで会社を選ぶ人材は、より高い給与を提示する他社にいずれ移ってしまいますが、「家族の介護がある」「趣味や副業の時間を確保したい」といった理由で柔軟な働き方を求める層は、その条件が満たされている限り高い定着率を示す傾向があります。

副業・兼業の解禁

副業を認めることは、大手企業ほど情報管理や利益相反の観点から慎重にならざるを得ない側面がありますが、中小企業であれば就業規則の見直しひとつで比較的スピーディーに解禁できます。副業を認めることで、給与を直接引き上げなくても社員の実質的な収入機会を増やすことができ、社外で得たスキルや人脈が本業に還元されるという副次効果も期待できます。

業務量そのものへの向き合い方

制度を整えるだけでなく、「業務量の偏り」や「人手不足によるしわ寄せ」といった、ストレスの根本原因に向き合う姿勢も中小企業だからこそ実現しやすい部分です。経営者と現場の距離が近いため、特定の社員に業務が集中していないか、繁忙期の負荷が過度になっていないかを直接把握し、迅速に人員配置や業務分担を見直すことができます。

職場の人間関係・帰属意識への投資

大手企業では難しい、社員一人ひとりとの距離の近さを活かした施策も有効です。全社的な交流イベントや、経営者と社員が直接対話する機会を増やすことで、「相談しやすい」「孤立しない」職場づくりを進めることができます。これは離職防止だけでなく、過重労働の兆候にいち早く気づく仕組みとしても機能します。

5. 実際の事例に学ぶ

事例1:社内交流の徹底で若手定着率を改善(ゴルフ場運営支援業・兵庫県)

地方で人材確保が困難という業界課題を抱えていたゴルフ場運営支援会社のダイレクト(兵庫県西脇市)は、給与での差別化ではなく、従業員同士の交流を徹底的に推進する施策で若手の定着に成功しました。同社の社長は「いざという時の相談相手になるためには、お互いを知っておくことが不可欠」という考えのもと、2024年度だけで大小合わせて年間110回もの社内行事を実施しています。バーベキューや社員旅行、上司との一対一の会食など多様な企画を会社が費用の一部を負担して開催し、「相談できる関係性」を土台から作ることで、若手が孤立して辞めてしまう事態を防いでいます。

事例2:週34日・短時間勤務への細分化で未経験層を採用(地方の介護施設)

地方で介護施設を運営するある企業は、慢性的な人手不足に悩み、大手や同業他社と同じ求人条件で募集しても応募がゼロという状態が続いていました。そこで方針を転換し、「子育てを終えた5060代の再就職層」をターゲットに、勤務シフトを「週34日・15時間からOK」という形に細分化。未経験者向けの3か月間の研修プログラムを整え、求人票にも明記したうえで、同世代の現場リーダーを採用面接に同席させ、同じ世代でも活躍できることを可視化しました。結果として半年間で9名の5060代スタッフの採用に成功しています。給与では戦えなくても、「働く時間の柔軟性」という大手にはない訴求軸で、競合の少ない採用市場を切り開いた事例です。

事例3:週休3日制と副業解禁をセットで導入(金融業)

ある金融機関では、2019年に策定した中期計画の中で、社員の成長や挑戦したい仕事を軸に、社内外での兼業・副業を後押しする制度を先行して導入し、その延長線上で2020年に週休3日・4日制度を導入しました。もともと育児目的の短時間勤務や介護目的の短日勤務制度が社内に根づいていたこともあり、大きな抵抗感なく制度を浸透させることができたといいます。休日を増やすだけでなく、副業やリスキリングの基準もあわせて見直すことで、社外での学びが本業に還元される好循環を狙っている点が特徴です。

事例4:入社後フォローの仕組み化で定着率を40%から85%へ(製造業)

採用の入口ではなく「入った後」に力を入れて成果を上げた中小企業の事例もあります。ある会社では、入社初日に経営者自らが会社の歴史や大切にしている価値観を伝えるオリエンテーションを実施し、受け入れ担当のメンターを1名アサインして最初の3か月間は週1回の1on1を必ず実施する体制を整えました。入社30日・60日・90日の時点でのミッションを事前に文書化して本人と合意し、3か月時点では経営者自身が直接評価とキャリアの見通しを伝えるようにしたところ、採用人数を変えずに1年後の定着率が40%から85%まで改善しました。中小企業の場合、採用力そのものよりも「入社後にどれだけ丁寧に向き合えるか」に伸びしろが大きいことを示す好例です。

これらの事例に共通するのは、いずれも大手企業のような採用予算や知名度に頼るのではなく、「柔軟な働き方」「経営者との距離の近さ」「意思決定の速さ」という、中小企業ならではの強みを正面から打ち出している点です。

6. 「働きやすさ」を求職者に正しく伝えるには

制度を整えても、それが求職者に伝わらなければ意味がありません。求人票や採用サイトで「働きやすさ」を訴求する際には、抽象的な表現ではなく、具体的な事実として伝えることが重要です。

たとえば「アットホームな職場です」という表現だけでは、実際の労働時間や休日の取りやすさは伝わりません。「月平均残業時間時間」「有給休暇取得率%」「週休3日制を選択可能」「副業届出制度あり」といった、数字や制度名を明記することで、求職者は入社後の働き方を具体的にイメージできます。ある地方企業の採用改善事例では、求人票のタイトルや説明文に「未経験OK」「プライベートとの両立」といった、ターゲットが実際に重視するキーワードを盛り込んだことで、応募件数が増加し、採用単価の引き下げにもつながったと報告されています。

また、面接の場でも、給与額の提示だけでなく「なぜこの働き方を用意しているのか」という背景を経営者や採用担当者自身の言葉で語ることが、応募者の入社意欲や入社後の納得感を高めるうえで効果的です。制度と、それを支える会社の考え方の両方をセットで伝えることが、中小企業の採用における差別化につながります。

7. よくある質問

  1. 給与を上げずに働きやすさだけをアピールしても、応募は集まりますか。
  2. 業種や職種にもよりますが、給与水準が業界の相場から著しく低い場合は、働きやすさの訴求だけで応募数を大きく伸ばすのは難しい場合があります。重要なのは「業界相場を大きく下回らない給与水準」を確保したうえで、そこに柔軟な働き方という付加価値を上乗せする考え方です。給与を業界最低水準のまま働きやすさだけを強調しても、応募者の不信感につながりかねません。
  3. 週休3日制や副業解禁は、小規模な会社でも導入できますか。
  4. 可能です。むしろ、大手企業のように複雑な部署間調整が不要な分、経営者の判断で機動的に制度設計・導入ができるのは中小企業の強みです。ただし、少人数の職場では一人が休むことによる業務への影響が大きくなりやすいため、対象者の選定や業務の引き継ぎ方法を事前に丁寧に設計しておく必要があります。
  5. 働きやすさを重視した採用は、どのくらいの期間で効果が出ますか。
  6. 制度を導入してすぐに応募数が急増するというよりも、口コミサイトや社員紹介を通じて評判が広がることで、中長期的に応募の質や定着率が改善していくケースが多く見られます。前述の事例のように、入社後のフォロー体制を強化した結果、半年から1年程度で定着率の明確な改善が見られたケースもあります。

8. 施策を導入する際の注意点

働きやすさを軸にした施策は効果的である一方、導入にあたっては以下の点に注意が必要です。

まず、週休3日制のように労働時間が変わる制度を導入する場合は、給与体系や有給休暇の付与日数、平均賃金の算定方法など、労務管理上の手続きを正確に整理する必要があります。労働時間を減らしても業務量が変わらなければ、かえって社員の負荷が増し、不満や離職につながりかねません。制度と業務効率化はセットで検討することが欠かせません。

副業を解禁する場合も、競合他社との利益相反や、労働時間の通算による法定労働時間超過など、会社として管理すべきリスクがあります。あらかじめ副業の範囲や届出のルールを就業規則に明記し、社員が安心して申請できる仕組みを整えておくことが重要です。

また、こうした制度づくりと並行して、社員の心身の状態を継続的に把握できる体制を持っておくことも欠かせません。業務量の偏りや人間関係の悩みは、当事者からは声を上げにくいことが多く、ストレスチェック産業医・保健師との定期的な面談といった仕組みを通じて、早い段階で不調の兆しに気づける環境を整えておくことが、働きやすい職場を「制度」で終わらせず「実感」として根づかせる鍵になります。

9. 「働きやすさ」を制度で終わらせないために

働きやすさを掲げる制度は、導入した瞬間がゴールではありません。週休3日制や副業解禁といった目に見える制度は、あくまで「働きやすい職場」を実現するための入り口であり、そこで働く社員が実際に心身ともに健康に働き続けられているかどうかが、最終的な定着率や採用ブランドの信頼性を左右します。

たとえば、休日を増やしても、出勤日の業務量がそのままであれば、社員一人あたりの負荷はむしろ高まります。副業を解禁しても、本業と副業を合わせた総労働時間が過重になっていれば、健康障害のリスクは増大します。制度を「掲げる」ことと、その制度のもとで社員が実際にどう働いているかを「把握する」ことは、切り離して考えることができません。

この点で、ストレスチェックの実施や、産業医・保健師による定期的な面談、高ストレス者へのフォローアップといった産業保健の仕組みは、単なる法令遵守にとどまらず、「働きやすさ」を看板倒れにしないための土台として機能します。特に中小企業の場合、専属の産業医を自社で確保することが難しいケースも多いため、外部の産業保健サービスを活用しながら、経営者や人事担当者が社員の状態を継続的に把握できる体制を整えておくことが、長期的な採用力・定着力の強化につながります。

働きやすさを訴求する制度づくりと、社員の健康状態を継続的に把握する仕組みづくりは、いわば車の両輪です。どちらか一方だけでは、採用時のアピールにはなっても、入社後の定着や口コミによる評判にはつながりにくいという点を、あわせて押さえておきたいところです。

まとめ:中小企業が選ぶべきは「賃金勝負」ではなく「働きやすさ勝負」

大手企業と同じ土俵で給与水準を競っても、原資の差から中小企業が勝ち続けることは容易ではありません。しかし、給与よりも働きやすさや柔軟な働き方を重視する求職者・従業員が増えている今、中小企業には大手が簡単には真似できない武器があります。意思決定の速さを活かした柔軟な制度設計、副業解禁による実質的な収入機会の提供、経営者と社員の距離の近さを活かした丁寧な関係構築などです。

本記事で紹介した事例のように、給与以外の切り口で採用競争を勝ち抜いている中小企業は既に数多く存在します。自社の強みを見極め、「大手と戦わない」採用・定着戦略を描くことが、これからの人材確保において何より重要になっていくでしょう。